倫理


【善とは何か】

善いこととは何か
博愛(殺さない)? 施与(盗まない)? 正直(偽らない)? 貞操(浮気しない)? 法規の遵守? 公平公正? 幸福・利益の追求? 慈善? 懲罰? 風紀? 礼儀作法? 節制? 努力? 忍耐? 知力・気力・体力の向上? 健康? 清潔?

善いことを行う動機とは何か
自分の死に対する恐怖があれば、他人の死に対しても同様の恐怖を覚える。自分の飢餓に対する恐怖があれば、他人の飢餓に対しても同様の恐怖を覚える。自分にとって好ましくないことは、他人にとっても好ましくない。自分を守るように他人をも守る。この考え方の背景にあるのは利己主義だ。あくまでも自分に対する思いが根本にあって、そこから他人のことも考える。

献身犠牲、自己放棄といった利他主義が善であることに疑いはない。しかしそれのみでは、あまりにもきれい事のように思える。人が利他的な行いをするには、まずは自分の側の生活が確立されていて、ある程度のゆとりがある場合に限られるだろう。やはり先立つものは自分というのが本音ではないだろうか。

人の活動の動機はすべて自分自身の幸福・利益の追求にある。したがって、自分を含む出来るだけ沢山の人たちの幸福・利益を追求するのが最も善いことであると考えるのが功利主義。「最大多数の最大幸福」と表現される。しかし実際には功利主義には様々な問題が存在する。

「①判断能力のある大人なら、②自分の生命、身体、財産にかんして、③他人に危害を及ぼさない限り、④たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、⑤自己決定の権限をもつ。」というのが自由主義の原則。ところがこの五つの条件のすべてに難題がからんでいる。

(参考文献 『現代倫理学入門』(講談社学術文庫) 加藤尚武著)

善の根拠は(原始)共同体の秩序規定にあるという考え方は、とても分かりやすいように思える(ただし、それがすべてだとは思えないが)。例えば「殺さない、盗まない、偽らない、浮気しない」などの行いは集団生活を維持していくための最も基本的な決まり事(おきて)そのものだろう。


【基本的人権(人間の自由と尊厳)】

世界人権宣言
・ 前文

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじつた野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によつて人権を支配することが肝要であるので、
諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、(以下省略)

日本国憲法
・ 第11条[基本的人権の享有と本質]

国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

・ 第13条[個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重]
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

・ 第14条[法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界]
すべての国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(以下省略)

・ 第18条[奴隷的拘束及び苦役からの自由]
 (本文省略)
・ 第19条[思想及び良心の自由]
 (本文省略)
・ 第20条[信教の自由、国の宗教活動の禁止]
 (本文省略)
・ 第21条[集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密]
 (本文省略)
・ 第22条[居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由]
 (本文省略)
・ 第23条[学問の自由]
 (本文省略)
・ 第24条[家族生活における個人の尊厳と両性の平等]
 (本文省略)
・ 第97条[基本的人権の本質]
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。



基本的人権は最大限に尊重されなければならないとは思う。しかし現実(世界)はこのような原則的な理念(信念)を遥かに超えて、様々な利害関係が絡み合っていて、一概には正否善悪を判断しかねるもののようにも思える。また、人は決して理性的な思いのみで生きているわけでもない。「力の論理」も無視できないのかも知れない。
社会(世界)が抱えている様々な諸問題を考えると、ややもすれば多元主義的相対主義的な思いに陥ってしまうのだが・・・。

それでも敢えて言うが、「社会(世界)が個人の力ではどうにもならないものであってはならないはず。」 ひとりひとりが社会的存在、個人的存在としての自分自身に自覚と責任を持つこと。時には自身を鼓舞してでも、しっかりと言うべきことを言う、するべきことをする。そういった日々の心意気がやはり大切なのだと思う。

「倫理の根拠に何も人権のような大げさなものを持ち出さなくとも幼少の頃からの親のしつけ、地域集団でのコミュニケーションから自然と学び取るもの、またはもっと感覚的な判断に拠る部分もあるだろう」という意見もあるとは思う。確かに今の日本社会は意識せずとも様々な法律によって守られているので、今さら人権を持ち出すこと自体、あまり意味のあることではないのかも知れない。
「倫理道徳なんて人付き合いだろう、当り障りなく様々な人たちと接して、周りの人たちと仲良くすることで学んでいくものだろう」と言われれば、それもあながち間違いとは思えない。(もちろん、反論はあるとは思うが。)



なぜ「基本的人権は尊重されなければならない」のか。
 →人権を尊ぶことに理由などいらない?
 →人権など人が作り出した<後付>の理念にすぎない?
 →憲法に規定されているから。憲法は守らなければならないから?

なぜ「憲法は守らなければならない」のか。
 →自由と平等、個人と社会全体の幸福・利益の追求を妨げないため?
 →社会(共同体)の秩序を守るため?

規範(ルール)を学ぶことが倫理学ではない。なぜ、そのような規範(ルール)が存在するのかを学ぶことが倫理学である。


【義務論(定言命令)と目的論(功利主義)】

例題 「戦争をしてはいけない」 正か否か

「武力を行使するような暴力行為は決して許されない。」

「正当防衛などの自衛権の発動など、必ずしも許されないとは言い切れないケースもある。」

(「戦争は外交手段である。」)


  • 原則的な立場を貫くのが倫理道徳である?
  • 現実を踏まえない原則論など無意味である?
  • 原則的な考えを基にして現実的な判断を下すのだから、原則論が無意味であるわけがない?
  • 原則論に固執していると複雑(微妙)な問題は何ひとつ解決できない。返って全体の利益を損ねてしまう?
  • ケースbyケースで正当性の根拠を詳細に分析し、原則的な考えを十分に考慮の上で現実的に判断する?

正戦論について(内容省略)
正戦論は戦争の正当性を評価するひとつの基準にはなるが、しかし一切の武力行使を許さない原則的な立場を否定するものではない。また、正戦論にはいくつかの問題点もある。

(参考文献 『倫理力を鍛える Q&A善悪の基準がわかるようになるトレーニングブック』(小学館) 編著者 加藤尚武 「“善い戦争”“悪い戦争”の区別はできるか?」)
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