倫理


【宗教原理に基づく倫理観】

人を傷つければ人から傷つけられる。人のものを盗めば人に盗まれ、うそをつけばうそをつかれる。その逆に与えれば与えられ、異性を真剣に思えば異性から真剣に思われる。
すべてが自分の行為の結果であり、自分の行いが自分に返ってくるのである。したがって自分の行為に対して責任を持たなければならない(因果応報)。

悪業の結果は死後に悪い世界(生命)への転生であり、善業の結果は死後に善い世界(生命)への転生である。したがって善い行いを為さなければならない(輪廻転生)。

仏教の五戒とキリスト教の十戒の共通項
・ 殺してはいけない。(慈しみなさい)
・ 盗んではいけない。(与えなさい)
・ 姦淫してはいけない。(特定の異性を愛しなさい)
・ 偽証してはいけない。(真実を語りなさい)

仏教の四無量心(慈、悲、喜、捨)
・ 慈---(親しむ)慈しむ心
・ 悲---(蔑まず)哀れむ心
・ 喜---(嫉妬せず)称賛する心
・ 捨---(すべてを)平等に観てとらわれない心

倫理(モラル)とは道徳、道義である。人の道である。人として生きていくための志、つまり人の生き方の規範(教訓・指針)とするものである。

人として生きていくうえで大切なことは善良な心とその行いである。少欲で簡素であり対立や争いを求めず他者を尊重する(非難しない)ことである。社会の規律や慣習を守り目上の人を尊ぶことである。

完全に倫理にかなった生き方というのはあり得ない。生きていくこと自体が自己保存、自己優先のエゴであり倫理に反している。自分を愛する(守る)ように他人を愛する(尊重する)ことが大切である。

最高の倫理とは完全な献身犠牲であり自己放棄である。ただしそれは現実的な判断ではない。十分な倫理的配慮のうえでの現実的決断が必要である。

戒律は非常に厳格なものである。例えば不殺生という戒律はただ殺さなければそれでよいというものではない。生き物を不意に傷つけてしまうことや心の中で生じる殺意すらも戒めるものである。さらにより積極的な行為である小動物や微生物に到るすべての生き物を慈しむ(慈悲)ということについても考えていく必要がある。戒律に対しては常に慎重で謙虚でなければならない。
しかし現実問題として完全に戒律を遵守することは不可能である。したがって何は守れて何は守れないのかをしっかりと判断していくこともまた必要になる。戒律を無視してはいけない。しかし戒律を過剰に意識するのもまたいけない(中道)。
守れることはこれからも継続して守っていく、守れないことに関しては将来は必ず守れるように努めていくといった心掛けが大切である。

他人との比較や競争ではない。自分を知り、自分を磨き、自分を確立していかなければならない。



在家者(家住者)は財産を蓄積するのも、妻子を所有するのも、それは個人の自由意志である。というよりもむしろ積極的に競争力をつけることで社会の中で自分の居場所を見出していく必要がある。まずはしっかりした生活基盤を確立して社会的責任を果たす。そのうえで禁欲的な生活を心掛け、三宝(仏・法・僧)に対する帰依を固めていく。そのような取り組みが基本になるのだと思う。

煩悩にとらわれずに経験すべきことは経験する。正しく理解して越えていく。汚れを乗り越えていかなければならない。ただし、あくまでも社会常識(法規・慣習など)をふまえてのことである。

時には自分を積極的に楽しませることも必要である。

円熟の域に達した人の放つ深い趣というか、落ち着き、包容力、無執着、そのような人になれることが理想なのかも知れない。





【標語】

・ 最後まで人に対する気遣いを忘れない。

・ 自分の役割をしっかりわきまえて行動する。

・ 他人を非難する前に自分自身を振り返る。

・ 出し惜しみせずに正直に自分をさらけ出す。

・ 人生を肯定的に前向きに生きていく。

・ 間違いを犯したならば素直に謝罪して償う。

・ 集中力をもって最後までやり通す。

・ 物事の本質を見極める。

・ 全体のシステムをとらえ、且つポイントをしっかりおさえる。

・ バランスよくコンパクトに取りまとめる。

・ 形式で固めずに柔軟に対応する。

・ 何事にも淡々として、あせらず、こだわらない。

・ 未来を見ず、過去を振り返らず、今を生きる。今の自分に納得する。

・ 明日死んでも悔いはないという思いで今日一日を、今の瞬間を大切に生きていく。
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