論理


論理(Logic)とは正しい認識を得るための思考(議論、推論、論証など)の規則、筋道、パターン。理屈の通っている考え方。

科学(Science)とは実験や観察によって実証された事実(帰納法)。分析(統計)的データ。それらに基づく知識、考え方。

単純(素朴)にとらえればそのようなものかも知れない。



【科学的思考】

因果関係(原因と結果の関連性)の分析
例えば「ある物質Aと物質Bをある一定条件下で掛け合わせると化合物Cが生成される」とする。これは実証済みの科学的事実であるとする。

この原因によってこのような結果が生じるとは(順問題)
「ある物質Aと物質Bをある一定条件下で掛け合わせる」という原因によって「化合物Cが生成される」という結果が生じるということである。

この結果はこのような原因によって引き起こされるとは(逆問題)
「化合物Cが生成される」という結果は「ある物質Aと物質Bをある一定条件下で掛け合わせる」という原因によって引き起こされるということである。
(ただし「化合物C」はそれ以外の物質の組み合わせ(別の原因)によって生成できる可能性も考えられる。)

原因がなければ結果は生じないし、結果は何らかの原因によって引き起こされる(?)。


検証(裏付け)による確証
理論は実際に実験や観測などで検証する(裏付けられる)ことによって確証される。
(ただし検証できない理論が誤謬であるというわけではない。)

再現性(繰り返し)による確証
例えばある科学的実験を行い、これこれのような結果を得たとする。再び同じ実験を行い、同じ結果を得たとする。次に別の場所で別の人が同じ実験を行い、やはり同じ結果を得たとする。同一の実験(原因)が同一の結果を再現する(繰り返す)ことで、この実験結果が確証される。
(ただし偶然の一致の可能性を完全に否定することはできない。)

統計(記述統計)による確証
例えばある日の月は半月だったとする。また別の日は三日月だったとする。また別の日には満月だったとする。これらの現象を継続して観測していくと、その統計データの分析によって月は一定周期で満ち欠けを繰り返すという事実が確証される。
(ただし実際は月の満ち欠けは見かけ上の問題であり、地球の影で欠けて見えているにすぎない。)

演繹法(三段論法)による確証
大前提-- (個人の)体内の血液はすべて同一の血液型である。
小前提-- A氏から採取した血液(の一部)を検査したところB型であった。
結論---- A氏の血液型はB型である。(A氏の血液はすべて同一のB型である。)
(ただし演繹法では前提条件の真偽に関わらず、(妥当な)帰結が導出されてしまう。)

確証された事実が絶対に正しいとは限らない。覆される可能性も十分にあり得る。


推計(推測統計)による推測
例えば継続的に調査したある統計データが一定の傾向を示したとする。今後もこの一定の傾向が継続していくと仮定するならば(今後変化していくであろう様々な条件を考慮に入れたうえで)、そのデータから未来の推測(予測)が可能である。

ある集団(母集団)から抽出した標本(サンプル)を基にして、その集団(母集団)の全体像を推測する場合、標本(サンプル)が集団(母集団)の全体像を正確に反映しているならば、その推測結果の信頼度は高い。

確率による推測
例えばサイコロのある任意の目の出る確率(確からしさ)は1/6(16.66・・・%)である。つまり「6通りの中の1つ」の確率でその目が出ることが推測(予測)される。

実際の推計調査は非常に複雑であり、このような単純なものではない。





上記の内容はあくまでも一般論である。私が独学で取りまとめたものであり、実際の学術的(アカデミック)な見解とは全く違うものである。科学の本質を追求していくと、例えばこのような見解に行き着くのかも知れない。

・ 「数学」におけるゲーデルの「不完全性定理」
・ 「論理学」におけるラッセルの「ラッセルのパラドクス」
・ 「物理学」におけるボーアの「量子力学」
・ 「科学哲学」におけるポパーの「反証主義」

私自身これらの見解を正確に理解しているわけではないのだが、いずれにしても「科学は決して絶対的な基準を提示しているわけではないのだ」ということだけは確かなようである。

科学から学んだこと。現実性、真実らしさの追求。徹底した反駁。自分の知識に謙虚(慎重)であること。
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