原始仏教の基本思想


【仏教の現実(宇宙)観】

・ 無常---すべての生じるものは滅する。(事象は流転する、価値観は移り変わる、相対的に変化する)
・ 苦-----よって(すべては)苦しみである。(絶対的ではない)
・ 無我---よって(現実は)真実ではない。(非我)


【四諦(苦集滅道)】
苦しみ 苦しみの生起 苦しみの滅尽 苦しみの滅尽に到る法

これは(すべては)苦しみである。苦しみは煩悩によって生じる。煩悩を滅尽することで苦しみは滅尽される。煩悩を滅尽するための教えが八正道である。


【八正道】
正見(見解) 正思(思惟) 正語(言葉) 正業(行為) 正命(生活) 正精進(努力) 正念(凝念) 正定(禅定)

・ 教えを学び思索し実践する。  「正見 正思 正語 正業」
・ 教えに基づいた生活を通して怠らずに努める。  「正命 正精進」
・ 教えに基づく生き方(考え方)を深めていく。  「正念」
・ 禅定(瞑想)によって真実を得る。  「正定」


【十二縁起】
無明 行 識 名色 六入 触 受 愛 取 有 生 老死

生存の原因とは根本無明である。無明によって心の働きが生じる。認識や感覚が生じる。それが外界(現象)の対象にとらわれ固執することによって生存が確定するのである。これら生存の原因のすべてが煩悩(罪・汚れ)である。


【心の汚れ(煩悩)】

・ 三毒---三つの根元的な煩悩。貪(貪り)・瞋(怒り)・痴(無知)
・ 十悪---殺生・偸盗・邪淫/妄語・両舌・悪口・綺語/貪欲・瞋恚・邪見

疑念、恐怖、逃避、隠蔽、迷妄、怠惰、性欲、食欲、物欲、愛欲(情欲)、暴力欲、嫌悪、慢心、卑屈、闘争心、嫉妬心、権力欲、創造欲などの様々な汚れ(煩悩)に気付き、理解して取り除いていかなければならない。

煩悩(罪・汚れ)を完全に否定することはできない。それは煩悩を伴って生存しているからである。煩悩を最小に抑えるならば行為(活動)も最小に抑える必要がある。煩悩をゼロにするならばすべての行為の否定、つまり生存自体を否定しなければならない。そのような煩悩に対する強い自覚(捨離)が出家(清浄)の生活には必要と思われる。


ひとつの教え(理論・宗派)に対して固執してはいけない。ひとつの教え(持論)に固執するがゆえに他者(他論)との間に対立や争いが生じる。教えは多様であってひとつの教えに固執しているということはその様々な要素の一部分しかとらえていないということにすぎない。ある人にとって役立つ教えはある人にとっては役立たない。人が多様であるように教えもまた多様なのである。

一切の教えに対して固執してはいけない。宗教的見解、宗教的実践に対してすら固執してはいけない。執着しないがゆえに一切のとらわれからはなれて安らぎを得、涅槃(ニルヴァーナ)に完成(寂静)に到るのである。

心に憂いなく、望みなく、所有なく、すべての執着(我執)を捨て去った人。明らかな智慧をもって、努め励み、堪え忍び、汚れを乗り越えた人。それが聖者(完成者)である。

『再生(の可能性)は断たれた、純潔の修行は完遂された。なすべきことはなされ、もはや(再び)この(迷いの)世界に生をうけることはない。』
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