三昧(サマディ)


【禅定(瞑想)の段階】

滅想受定
三 界---無色界(根源体)---非想非々想処定
無所有処定
識無辺処定
空無辺処定
色 界(幽 体)----第四禅定(捨念清浄)
第三禅定(離喜妙楽)
第二禅定(定生喜楽)
初禅定(離生喜楽)
欲 界(肉 体)


【六神通(三昧によって得る能力)】

智慧---漏尽通---四諦(煩悩の滅尽、苦の滅尽)の確定
天眼通---様々な生命(世界)の経験(生死)の分析
宿命通---様々な過去生の経験(生死)の分析
神変---他心通
天耳通
神足通


【ヨーガ・スートラの八部門】
禁戒 勧戒 坐法 調気 制感 凝念 静慮 三昧

「禁戒 勧戒 坐法 調気 制感」の段階は規律規定に則った清浄な生活から肉体、感覚、意識の安定浄化を得るまでの段階になる。
「凝念 静慮 三昧」の段階から三昧(サマディ)を得るための具体的な手順になる。
「凝念」とはそれまでの段階の実践を繰り返し繰り返しただひたすらに一心に続けていくことをいう。
「静慮」とは「凝念」の実践が意識せずとも(無意識の中で)ただひとすじに伸びてゆく状態をいう。そして「三昧」を得る。

覚醒時に客観的意識が残る段階のサマディ(三昧)をサヴィカルパサマディ(有分別三昧)といい、客観視する意識すらなくなる段階をニルヴィカルパサマディ(無分別三昧)という。


苦(罪・汚れ)に対する認識、現実の無常観などから真実の探求が始まり、まず初禅定によってこれ以上にない最高の歓喜を得る。そして歓喜を超えた精妙な状態に達する。その過程で六神通を得る。その様々な能力と智慧によって万象(現象)のすべてが無常、苦、無我であると正しく理解する(悟り)。それによって執着も怒りも疑問もすべて消えて苦悩から解放される。個生命としての生存(輪廻)から、因果(カルマ)から解放される(解脱)。煩悩や苦悩から解放されるというのは理屈ではない。一切の人為的な作用が三昧(サマディ)によって機械的に自動的に停止、超越する。したがって人間的な意味においては本当に何も残らない。

(以下省略)


最終的境地におけるブッディズムとヒンディズムの見解の相違には、それ相応の理由がある。そこは踏まえておく必要はあると私個人としては思う。(06/12/08 補足)
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