ヴェーダーンタの基本理念


【根本原理ブラフマンの定義】

形而上それをブラフマンと呼び、サチダーナンダ(真実在・智意識・歓喜悦)と表現する。

ブラフマンは唯一不変の絶対的実体(真実)である。

ブラフマンはすべての物理現象、精神作用を超越しているからいかなる人為的手段によってもとらえることができない。本質的に表現不能である。

個生命原理としてのアートマン(真我)と全宇宙原理としてのブラフマン(梵天)は同一であり個としてのアートマンの悟りが全宇宙のブラフマンの悟りである。

梵我一如

現象世界(現実)はブラフマン(実体)から生じたマーヤー(幻影)にすぎない。現象世界(多様性)とブラフマン(単一性)は本質的には同一である。ブラフマン(原因)から生じた現象(結果)であって別のものではない。
マーヤー(幻影)にすぎない現象世界(現実)を名称や形態によって限定し「私(自身)である」「私のもの(所有物)である」と誤認(固執)することが無知(罪)であり、それを無明という。

不二一元論


識別とはブラフマンを志向する要素(非煩悩性)とマーヤーに固執する要素(煩悩性)を分別して認識することである。ブラフマン(実体)とマーヤー(幻影)を識別することである。

離欲とは現実が多様にまた相対的に変化していく真実のない幻影であると理解してそれに対して固執しない、とらわれないことをいう。現実(マーヤー)を否定(超越)することをいう。


たとえ現実が幻影のようなものにすぎないとしてもその現実の中で生存している限りにおいては疑いなく存在する現実であり安易に否定していいものではない。自己の現実に対して責任を持たなければならない。その立場においては現実に形を有する神、人格を有する師の存在も完成者として先達者として認めて信仰を深めていくべきである。

ブラフマンという表現もひとつの限定にすぎない。ブラフマンという概念によってマーヤーというそれに相反する概念が生じる。実体幻影、単一多様、原因結果などの様々な二元的な思索が展開していく。そのような二元的な思考ではなく、一切の思考を超えた一元的なブラフマンの本質(サマディ)に到達しなければならない。
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