受動性と能動性と原因性

『端的に言ってこの(自然的)受動性の働きとは一体何なのか。』

人は生きている以前に生かされているということ。圧倒的スケールをもって打ちのめされ、飲み込まれてしまう程に。古(いにしえ)から人はその事実に対して畏怖・畏敬の念を払い、拝み、崇め、祈りを捧げてきた。それを自然と言ってもいいし、神と言ってもいい。万物・自然崇拝(アニミズム)。八百万(やおよろず)の神。森羅万象。無為自然。生滅流転。諸行無常…

『人は生きていると同時に生かされている。生きている(能動性の)意味は己で定義すればいい。仮にあるとすれば生かされている(受動性の)意味とは一体何なのか。』

生かされていることに意味などない。意味がないことが受動性の働きならば、逆に意味があったらおかしい。論理矛盾している。自然に生まれて自然に死んでいく。自然の営み。自然の在り方。自然の摂理。そのまま受け容れる。極めて真っ当な見解。

『受動性と無意識(潜在意識・深層心理)との関連性について問いたい。我々は普段から生命維持活動(呼吸・心拍等)に対して意識的・意図的に管理しているわけではない。何らかの関連を連想させるが。』

それは正直に言って分からない。例えばダークマターやダークエナジーを形而上学的世界の反映ではないかと主張している人たちもいる。私個人の見解を言えば、生命維持活動(呼吸・心拍等)などは無意識(形而上学的原因性)というよりもむしろ機械論的物理法則の秩序に近いより原始的な働きのようにも思えるが、やはりよく分からない。

『受動性の受容は即ち決定論である。決定論からの抗い、自由意志を語れ。』

最大局面は決定的。死は免れない。人生を積極的(能動的)に切り開いていく力(意志)とは第一義には社会的責務を全うすることにある。目前の現実と向き合う。真剣に誠実に生きていく。そこから学び取る智慧。人間的成長。それ以外では断じてあり得ない。人は助け合い支え合い、生かされ生きていく。決して1人では生きられない。友愛・慈愛・博愛を培う。己の人生に立ち向かう。勇気をもって。

『受動性の受容とは決定論をほぼ確定するということである。最大局面は決定的などという生易しいものではない。不確定性など超極小領域の偶然性にしか存在しない。否、それすらも疑わしいということである。』

全体論的発想にはある種の形而上学的判断が働いている。具体性が伴わない(観念論)。人と人との繋がり(関係性)は物理現象のように単純に割り切れるものではない論証不能の問題であるというのが大前提になる。仮に決定的であったとしても結局は何も分からない。先のことは誰にも分からない。ブッダはこのような思索から離れて目前の現実(実存)に立ち返ることを説かれる。日々の生活(行為)の大切さを説かれる。

『形而上学は決定論を覆す可能性を秘めているのか。』

形而上学は人を安定・完成へと導いていく。否、形而上学は人を解脱・悟りへと導くものである。自然的なもの、社会的なもの、形而上学的なもの。それら全ての調和(バランス)の中にこそ真・善・美が宿るのだと、私自身はそう思っている。


追記:

人(知的生命体)の社会活動(能動性の働き)とは宇宙の奇跡と言える現象である。これこそ自由意志の発現・発露そのものではないかと私には思える。「ならば殺人も窃盗も淫乱も偽証も全てが人の自由、宇宙の奇跡なのか。」 と問われたらどう答えるのだ。やはり徳(習慣)としての倫理観・道徳律の確立が大前提。自然状態では弱肉強食の秩序(野生の掟)と何も変わらないであろうと答える。「否、それすらも一切の全ては神?の掌中(試練)ではないのか。」 と問われたらどう答えるのだ。正に(然り)と答える。

全ての自然現象が受動性の働きという訳ではない。身近な現象ほど人の社会環境が集合意識が引き起こす。能動性と受動性の衝突。せめぎ合い。地球(ガイア)の自浄・中和作用。「否、それすらも一切の全ては神?の掌中(試練)ではないのか。」 と問われたらどう答えるのだ。正に(然り)と答える。

進化(成長)の過程で物(受動性)から人(能動性)へ、人からそれ以上の存在(原因性)へと移行していく。形而上学とは(超越的)原因性を問うものであり、(現象的)受動性を問うものではない。受動的事実に関してはそのまま自然科学的立場(記述)に準ずるのが正論。深追い不要。

色即是空, 空即是色。色は即ち空の反映である。空は即ち色の反映である。形而上学に逃げ場など存在しない。

形而上学的世界のデータベース。アーカシックレコードへのアクセス。無意識(潜在意識・深層心理)の操作。物から上げない。心から下ろす。潜在面・深層部からの現象化。

直観直証智(実体験)の伴わない荘厳壮大な形而上学的理論体系など絵に描いた餅(机上の空論)。害毒でしかない。

時間の経過が唯一の決定要因(救い)である。ただ時の流れのみが、全てを洗い流し、全てを解き明かしていく。逆の言い回しもある。無為無策の怠慢は最長期間をもってしか贖えない。だから最後まで努め励め。…中道。


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